(2).これから・・・
@.個人の時代がやってきた
かつて、日本は家を中心とした社会であり、現代で言う“大家族”を社会の最小単位としていた。大家族とは、通常三世代以上であり家長(戸主)を中心として、その父母などは隠居(前戸主)となり家内(妻)・嫡男(長男)・その他の子(次男など)・子の妻(婦)・子の子(孫)だけでなく、弟やその妻(婦)や子(甥・姪)なども含めて一つの家となっていた。その中に、それぞれの役割が決まっていたし、役割があるからこそ大家族制度が成り立ち、また、構成員が欠けることは家族の衰退をもたらした。国家や社会との関わりは家が中心であり、例えば嫁などが直接国家と関わることなどできなかった。
こういう時代は一人で生きていくことなどは精神的にも生活技術的にも難しく文字通りお互いに支えあって生きていたのだと思う。
戦後から昭和40年代の高度経済成長期にかけて、社会の最小単位は、“大家族から”“核家族”という通常二世代の家族が中心になっていった。
そして、かつての大家族のような家族の中での複雑な役割はなくなり、父(夫)と母(妻)と子というように単純になり、祖父母と孫の身分による役割は原則としてなくなり、父母がいないときだけ例外として祖父母が父母の代わり(役割)をするようになった。ここで役割について考えてみると、人は複数になると必ず何らかの形で助け合い支え合うという役割を持つのだと思う。認識するとかしないとかにかかわらず、また物理的なこととか経済的なこととかあるいは精神的なこととかにかかわらず互いに支えあうのだと思う。これら、相互扶助の最小単位が男と女であり、これが発展すると夫と妻になったりしてそして父と母になり家族が生まれる。
今、少年たちが暴れている。おおむね中学1年生(13才)から高校 3 年生(18才)くらいの若者たちの心が大きく揺れている。やり場のない思いやどうしようもない閉塞間の中で彼らは今、陰湿な暴力で社会に抵抗を始めた。
原因は家族の崩壊である。家族がその家庭の中で役割を果たさなくなったのである。人は雄か雌として生まれ、心が独り立ちしてようやく男と女になる。
やがてお互いの心を支えあう相手とめぐりあって夫婦となる。そして子を授かり、子の心を育てて自立させていく過程で父母としての役割を果たす。今、父と母が名ばかりとなり、子の心を育てることができない。子の心を見ることすらできない。それ以前に、夫は妻の心を支えられず、妻も夫の心を理解できず、ただの共同生活者であって夫婦とは名ばかりとなっている。いや、それよりもっと以前に、社会にでても心が独り立ちできずに男や女にもなれず、ただ雄と雌でしかない人々。彼らが名ばかりの家族を持ち始めてから少年たちが暴れ始めた。彼らが暴れるのは心に軸をもっていないか、あるいは、まがった軸をもっているからである。正しい心の軸は、かつて父母が家庭で身につけさせた。『人は、このように生きることで幸福になれるのだ』という正しい心のあり方を、今は誰も説いてはくれない。
これからは、 自分で自分の心を育て、独り立ちさせていく 。そして、生活のすべての単位が自分一人 というそんな、個人の時代がやってきたのである。 |